シングルマザー女子大生のダイエット、美容、コスメにっき

シングルマザー女子大生/上原のにっき。書くネタが無いので、雑記、コスメ、

昭和63年生まれがファッションと遊びで平成を振り返ってみた

 私たち昭和63年生まれは、微妙な世代な気がしている。

 小学生の頃にモーニング娘。が大流行していた。もちろん、ティーン雑誌のファッションは、モーニング娘。みたいなツインテールにチェックのスカート、レッグウォーマーやルーズソックスが流行っていた。だけれど、小学生の経済力なんて、知れていたいたし、親の好みが反映される時期だからファッションを追求することができなくて不完全燃焼で終わった。その頃、読んでいた雑誌は、セブンティーンやニコプチあたりだった気がする。

 ちょうど、その頃「タダベル」が流行っていたと同時に、塾に通っていた子はPHSを持っていた。私もバスで塾に通っていたためPHSを持っていたし、なぜか知らないけどPHSを持てない家庭の先輩から「ピッチ」と呼ばれていた。バカにされていたのか、羨ましがられたのかは定かではないが、彼らが持てなかったのは事実なのだから、そこで貧富の差を感じ始めていた。

 

 中学生に上がってからは、J-phonが誕生した記憶がある。無理を行って買ってもらった。そこで多発したのは、買えない人達からの「貸して貸して」攻撃だった。ファッション雑誌は、ポップティーンになっていた。ちょっことギャル路線に始めたのは、この頃で、ワンウェイの服を祖母に買ってもらっていた。私が卒業した中学は、冬服がブレザーだった。そのため、ルーズソックスの他に紺ソも流行っていたし、ベストとシャツは指定のものではなく、勝手に好きな色のものを着ていたはず。スカートがグレー、ブレザーが紺だったから、ピンクのシャツやワインカラーのニットベストがお気に入りだった。言うまでもなく校則違反だったけれど、制服がない高校にしか進学できないであろう私たちからすると、とても楽しく制服を着れた。

 

 中学を卒業してからは、ココルルが爆発的に流行っていた。その他、ギャルの象徴であるアルバローザ、マイタネ、セシルマクビー、d.i.a。この三つのローテンションだったかも。この頃には、お姉系にもハマっていて、RFやディアプリンセスも着ていた。もっと色々あったけど、記憶が曖昧でよく覚えていない。ヤンキーカルチャーが好きだった私は、その辺の服も持っていたし、そういう遊びをするときは、今考えるとダサい服を身に纏いスクーターに乗っていた。無免許だったから何度も事故りかけたけど。

 

 17才になってからイベサーを始めて、最大集客300人を叩きだしたときは、本当に嬉しくてたまらなかった。トランスやユーロビートのイベントだった。サークルのメンバーとは今でも連絡を取り合っているから、財産になる友達になれたんだと勝手に思い込んでいる。ちょうどその頃、沖縄一の繁華街松山で客引きを始めた。夜の仕事を始めるとブランド思考になる。私も例外ではなく、アルマーニ、グッチ、ドルガパ、ルイヴィトンにハマっていた。

 

 18才になってからは、雑誌を何を読んでいたか忘れてしまったけど、moussy,slyあたりを愛していた。20代前半までそれが続いていたけれど、時々、雑誌sweetの影響でスナイデルやリッチの服を着だしていた。この頃に、雑誌agehaが創刊され、エゴイストなども着るようになっていた。キャバクラで働き始めたから毎週のように、服を買う生活をしていたから貯金なんてしていなかった。

 

 21才の誕生日を迎えた「クラブ檀」に移ってからは、先輩から譲り受けたルイヴィトンの鞄を持って、クラブホステスとして最低限の生活を送っていたと思う。私服は、mossyやSLYだけに絞られてきたのも、この頃だったと思う。

 

 さて、23才?あたりからは、定時制高校に入学して勉強ばかりしていたため洋服を買う余裕はなくなっていた。近所の古着屋で買った100円のワンピースとかユニクロがメインになった。勉強にお金がかかったから、服に気を使わなくなった。

 

 26才で大学生になってからは、そこそこ洋服にも気を使うようになった。けど、あくまでも若作りにすぎなかった。

 

 そして、現在。アプワイザー、フォクシー、ルネを買い集めるようになっている。何年も着れる服の方がコスパ良いだろう!と、コスパ重視になった。でも、体重の変動が激しいため、いままで入ったジーンズが入らなくなって、お金がかかるようになった。こればかりはダイエットをして節約のために、痩せなければいけない。遊びは、相変わらず、たまーにクラブに行くくらい。むしろ、遊ばなくなったのでは?って感じだ。ご飯やお茶するメンツも変わってしまったから、飲みにいくのがメインになってきたかも。あとは、旅行するのも増えた。

 

 さて、適当にまとめてみようと思う。

私たち世代は、時代を象徴するものから微妙にズレている。

だから、自己表現としてのファッションも好き勝手できたのかもしれない。

 

 正直、私より5才くらい年上が羨ましい。メインカルチャーの中を生きていたわけだから。ちょっとズレがあるような世代に生まれてしまったけれど、それなりに楽し買ったと思うし、私たち下の世代は、私たち以上にファッションもカルチャーの選択も自由になっていた。服装とカルチャーがリンクしなくなった今、私たちは、何を貫き通せばいいのか分からないけれど、「自由」を手に入れたと思って最大限に楽しめばいいのだろうと思う。

 

 eggも復活して嬉しいけど、H&Mをギャルが着ていると知った時のジェネレーションギャップは、めまいがするほどのものだったけど。

 

 平成が終わってからの目標は、夏はエイミーで大人ギャルっぽい感じを目指して、冬はフォクシーやルネで大人っぽい感じを求めていきたいと思いましたとさ。

久しぶりに社会学の教科書を読んでみた

 久しぶりに社会学の教科書を読んでいます。

今年度は、あまり本を読んでいなかったので、脳みそが腐りつつあります。

流石にヤバイなぁと思い読んでいます。

 

社会学原論 (岩波テキストブックス)

社会学原論 (岩波テキストブックス)

 

  これ読んでまする。体系的に勉強しないとマズイ!と気づいたので、出来るだけカリキュラム以外の本は読まないことにしました。

 

 とはいえ、食わず嫌いしていると情報源が限られてしまうので、洋書を読む努力をするのも必要なのかぁと。読めているかは不明だけど。そんなわけで、しばらく触れてすらいなかった教科書を読むのも大事ですね!!!

 しばらくは、大学の教科書を読もうと思いましたとさ。

アトピー持ちの乾燥肌でも使える化粧水

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 私は季節の変わり目になると必ずこの化粧水を使っています。

というのも、元々はハードなアトピーだったんです。全身乾燥してフケだらけみたいな感じでした。ヒルドイドだけじゃ間に合わなかったんです。そこで、うちの母が買い与えたのがこれでした。

 

 乾燥肌の人って、保湿成分が入っていない化粧水をたくさん使ったところで、用途が違うからあまり意味がないんです。だけど、気づかないでプチプラに頼っている人が多くて意外とびっくり。

 

 

 

 ちなみに、これの化粧水でも手でプッシュするのと、コットンでパタパタするのでは、効果が変わっているのが感じられるくらい違います。

めっちゃ乾燥してる時はパタパタして、そんなに乾燥していない時は手でプッシュするだけ。こうした使い分けもできる類の化粧水なんですよね。DEWは化粧水も優秀ですが、DEWの日焼け止めクリーム、DEWのクリームもオススメです。

 

 アラサーになったら、このクラスの化粧水を使いたい続けたいものですなあ。

双極性障害について書かれている洋書を買ってみた

 

 

 英語の勉強もかねて、双極性障害の本を買ってみました。

パッと見た感じ、インターセクショナリティーより読みやすそうです。

たぶん、これは一般書に分類されるのかな。レビューは読めたからチェックしたら、かなり良かったです。

 読めるかどうか分からないけど、エクセルに単語を打ち込んで頻出単語を探すとかやってみたいなあと。ところで、頻出単語調べるならエクセルとワードどっちが良いのかな?元商業生とは思えないバカさに、自分でうんざりしております。

 

 しかも、1章ずつが短いし、小見出しはさらに短いから、お勉強したい当事者や家族、友人、病気を理解したい人にオススメなのかもしれません。まずは、内面化していないけど、双極性障害の当事者として読む努力をしてみようと思います。

 

 双極性障害を内面化しているか、していないかで読み方が変わるのかもしれないけど、あれだけレビューが良ければ安心して読めそう!!!というわけで、英語の勉強がしたくて、周りにBipolar Disorder(双極性障害)の方がいる人にオススメしてみたいと思います(英語力ないから保証はできぬ)。

那覇市長選のときに“ママ”の集まりに行ってみた

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 沖縄県は、県知事選、那覇市長選と大忙しでしたね。

私は県知事選だけお手伝いして、那覇市長選は街宣場所を提供するくらいにとどめておきました。街宣場所を提供すると言っても、イデオロギーを剥き出しにするわけですから、わりと勇気が必要だったけど信頼している那覇市議の翁長さんがいるので、安心して場所提供できました。とか言ってるけど、実は、娘が那覇市長と那覇市義の識子さんのファンなんです。

 

 さて、那覇市議の識子さんにお誘いいただいて、市長選のママ会に行ってみました。私は、高等技能促進給付金について質問をしてみたのですが、市長は、その制度をよく知らない感じでした。ということは、市長ではなく役所の職員が審査していることになると思います。

 ってことは、「自分たちがよく知らない資格と分かりにくい職業は落とそう」って考えが働く可能性がなくもないなぁと。職員で審査してよく分からないのは、落とすというのは、あまりにも酷いですよね。

 私の場合、社会調査士で出しているのですが、プレゼン資料を提出しろとかウザいんです。こっちは、実績を提出するわけですからゲラのコピーになります。つまり、「全国発売の雑誌の記事を読んで決めるよ」って、話なんですよね。

 まあ、仕方ないから提出しますが、「沖縄に貢献できるもの」っていうのはクリアしているはずなんだけどな(笑)。しかも、全国誌で発信しているわけだし(笑)。そんなこと分からない人達に審査されても困るとしか言い様がないです。

 

 私は、沖縄のことを色んな形で発信していきたいから制度利用させてくれ!って主張しているのだけれど。それに、内地資本のお金を沖縄で落としているわけだから、かなり貢献していると思いますが……。あまりにも酷いと全部通販で済ませてやる!出来るだけ沖縄にお金落とさないようにしてやる!って、気持ちになりますね。

 

 これは、役所が見直す必要があると思います。

役所の方に議員から聞いた、市長はよく分かってなかったって話たら、困惑していたからなおさら見直して欲しいものです。

 

 というわけで、服装は、涼美姉さんからのお下がりで行ってきました。

黒だから浮かなかったけど、明らかに私だけチャラかった気がするけど、そんな人が良いだろう!政治はみんなのものだ!と、開き直って参加してみたとさ。

 

キャバクラ嬢の取材の時に何を着ていけばいいのか問題

取材する時に着て行く洋服に、いつも悩まされる。

 

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 警戒されないか、キャバっぽくないか、敵対心は全くなくて、お話だけ聞きに着ただけですよ〜感をためにどうすればいいのか。そんな時に着るのがお下がりのフライI.D.のワンピース(写真)。

 無難路線だから誰に会うにしても敵対心がないのと、いかにも“取材”っぽくって良い意味での距離感が保たれると思っている。けど、実際のところどうなのか分からない。それに、沖縄はそんなに寒くないから秋物でも生きていけるし。

 

 そんなわけで、秋物サイコー!とか思ってしまうのだけれども、冬服も持っていないと県外にいくときに不便だし、冬服も持っている。とはいえ、ウールの洋服は沖縄では二ヶ月くらいしか着れないから寂しい。そういうときに、大学が通信でよかったと思う。

 

 もうちょい派手な服でも良いのかな?とも思わなくないんだけど、女性の取材ファッションがきになるところですな。

 

 

意外とキャバクラアンケート回収率が高い

 この世には、分からないことがたくさんあって、その1つがキャバクラの実態だと思う。今まで数人のインタビューをしてきたけれど、お金の話は切り出すことは出来なかった。意外と妊婦キャバ嬢になるまでの経緯は話てくれるし、恋話になると饒舌になる。

 

 私は、意外と恋話が重要だと思っていて、どういう人と、どんな恋をして、どういった家庭を築こうとしたことが問題を明らかにすると思っている。そこが分かれば、支援のあり方を変えることができるはずだ。現状では、無理ゲーだし私は商業ライターなのに、私に意見を求めてくる人達がいるけれど、それはご法度。

 

 自分が調べたことを先に行政がやってしまったら、私の努力は何も報われない。アンケートだって手弁当でやっている。出版社が取材費として出してくれるらしいけど、そしたら自由度が下がるからイヤだなあ、とも思ってしまうし。とりあえず、私はわがままだ。

 

 だけど、アンケートに協力してくれるお店さんのことも考えてくれる議員さんもいることが心強い。私たち世代で食い止めでいくんだ!ってパワーが湧いてくる。といわけで、調査協力してくれいる議員さん、アドバイスをくれる研究者以外は私に意見を求めないでほしい。私やお店さん、協力してくれたキャバ嬢たちの努力が無駄になるから。

 

 そこんとこは、マジでご理解ください。