シングルマザー女子大生ゆるゆるゆか子にっき

シングルマザー女子大生(だった)上原のにっき。ゆるふわニートなうです。

引きこもりの“目的”って何なのか、自称元引きこもりが考えてみたお

僕が「引きこもりだった」という話をすると、大抵「引きこもりじゃないじゃん!」という反応をされるのだけれども、僕が「“引きこもり”だった」って時期に頻繁に行っていた場所に行き、ちょっとだけ昔の自分について考えてみた。

 

まず、我が家には“個人の部屋”というモノが存在しなくて、正確に言えば、部屋の“カギ”が無かった。だから、みんなが想像する“引きこもり”生活を送るには、母親の怒りに立ち向かう勇気とそれに耐えるメンタルの強さが必要最低限の条件となる。

 

デットアライブ(格ゲー)と頭文字Dでは、闘争心むき出しで負け知らずな僕だけれども、デメリットしかない揉め事は好まないし、お小遣いを減らされるリスクを背負ってまで、母親に反抗したい!なんて、思いもしなかったのである。

 

まあ、「自分で働く」という選択肢は一切無かったわけで、そこで考えた結果、家族が居ない時間帯に家に居て、家族が家に居る時間は外に居ればおk!という、なんとも単純で分かりやすいもので、友人からの電話もスルーして、ただ1人で外に座りボーッとしたり、家から持って来た漫画を街灯を頼りに読んだり、“人との繋がり”を徹底的に断つ”時間を設けていた。

 

“引きこもり”の人って、家族や社会って“集団”から逃れたいのかな?と思うのだけれども、それを可能にするのは“カギがある部屋”であるし、親の威権的なモノも影響しているはずだし、僕がそれらから逃れるためには、家じゃない“空間”を必要としていた。

 

たまたま、家に自分の“空間”が無かったから、外でボーッとしたり、ネカフェで1日の半分以上の時間を過ごしたり、おかげさまで“外”との繋がりは当時の2ちゃんねるだけの生活をしていた。

 

ようするに、“引きこもり”ってリアルな“繋がり”を断ちたい生き物なのかな、と。

今でも突発的に、誰とも会いたくないし、話したくないし、声を聞くのがイヤになるし、それこそ、今は“カギ”があるから“引きこもり”たいなーとか思うわけで、ただ、ちょっとだけ年齢を重ねた“今”クソみたいな社会にも良いとこはあって、“クソみたいな社会”にだからこそ存在する魅力を感じるようになったから、SUM41に共感しなくなったんだな、と思う。

 

とくにオチは無いから、僕と一緒にゲーセンで頭文字Dをしてくれる友達を募集する!