シングルマザー女子大生ゆるゆるゆか子にっき

シングルマザー女子大生(だった)上原のにっき。ゆるふわニートなうです。

「ルポ虐待」の著者の講演会に行ったお

小人に250円のイチゴ大福を買ったら「やっぱ、アンコ食べれない♡」と言われ、あんこ餅と化したイチゴ大福さんが意外と美味しくて、小さな幸せを感じた。

 

その小さな幸せを与えてくれる“子ども”を死なせてしまった大阪2児置き去り事件を綴った「ルポ虐待」の著者“杉山春”さんの講演会に行った。

 

杉山氏の外さない感じは、著者本人に興味を抱いてしまうくらいだったのだけれども。

1番印象的だったのは、質疑応答での杉山氏の回答だ。

 

たしか、「支援を必要としている人ほど支援されるのを嫌がる」という趣旨の話だったと記憶している。

 

こうした類いの講演会に行くと、“支援したい人”や“現場に近い人”の悩みを交えた質問が多い気がするのだが、彼らは“勉強会”に参加して何を学んでいるのか、こちらが考えてしまうほど的外れな質問を投げかけてくる。

 

これは、地域差があるとか、そんな話ではなく東京で話しても、沖縄で話しても同じ気がする。あくまでも僕の肌感覚だし、確信では無いから何とも言えないのだけれども・・・。

オバサンだから、オジサンだからじゃなくて、若者世代にも沢山いることは断言出来る。

 

なんか、前はオブラートに包んで話していたのだけれど、誤解を恐れずに言えば、ガチな当事者は支援を望んではいないし、“支援”の手を差し伸べようとするほど、もっと深い所へ沈んでいく。

なぜなら、彼らは今まで自分で生きて来たし、色んな要素が絡まりあって社会から排除されて来たからだ。一般社会は、僕ら底辺の「ことばや文化」と向き合っていなかったのだから、当たり前のことだ。

 

一瞬だけ、ちょっとだけ知った気になって、自分が出来るカタチの支援策を生み出そうとする人、支援者にも支援者なりの苦労があると主張する人にうんざりしている。

 

 

こんな言い方は良くないと思うが、僕の記事がサイト内のアクセスランキングで月間1位を取得したのも、よくよく考えてみるとオカシな話なのだ。

支援者が沢山いるはずの社会に住んでいるはずなのに、支援したい人は沢山いるはずなのに、“当事者”の声を生で聞いていたら僕の記事がネット上でバズるわけがない。

 

 

恋愛に例えるなら、支援者の片想い状態がずーっと続いている、という事だろう。

「ことばや文化」を奪われ、否定されるのは、ストーカーから暴力を受けているようなものだ。

 

“支援したい系”の人たちには、もう一度ゆっくり、丁寧に彼らの声に耳を傾けて欲しい。

 

そして、“支援者”という不細工な女や男の前に立たされ、口説かれている自分を想像してみて欲しい。

 

そこから、本当の意味での“支援”が始まるのではないだろうか。