シングルマザー女子大生ゆるゆるゆか子にっき

シングルマザー女子大生(だった)上原のにっき。ゆるふわニートなうです。

小さな親切 微妙な犯罪

誰かにとって親切なことをする。

これって、とても当たり前だと思う。

 

でも、誰に親切なことをするかによって、社会的な評価や内容が大きく異なる。

 

たとえば、重たい荷物を持っているお年寄りの荷物を持ってあげるのは、社会的な評価を考えると「いいこと」だ。

 

では、草を売ってる友達が「売れなくて困ってる」と話しているのを聞いて、買いそうなひとを紹介するのは? 一緒に売りに行くのは? どうなのだろう。

 

あくまでも例え話だから、関わっただけで法に触れるものまで含め考えてみてほしい。(大麻は所持してない限りは大丈夫だったはずだし)

 

どう考えても「悪いことをする人とは友達しちゃいけないよ」ってところに着地するはずだし、犯罪スレスレだし、社会的な評価は良くない。

 

でも、悪いことをする人とは〜なんて、一般社会に属し続けている人達の考え方だと思う。

 

とても残念なことに、私が外に出て「親切」なことをしたくるのは、たいてい犯罪スレスレなことだ。

 

家から出ると「ああ、私は上手くやれない」とか、「あっち側から抜け出せないんだ」とか、足もとが揺らいでいる感覚に襲われる。

 

アングラ社会と一般社会に境界線があるとするならば、私は、その一線を越えられない。

 

越えたつもりでいても、何もないんだから、何も変わってないのと同じだ。

 

一般社会からアングラ社会は、とても遠くて、でも吸い込まれるような場所として描かれる。実際に「興味関心がある」人達は少なくないはず。

 

好奇の対象となるアングラ社会から一般社会に行くには、過去を捨て、罪悪感を捨て、一般社会に行くための何らかのパスポートが必要だ。

 

ただし、旅券みたいに書類を提出したら1週間後に受け取り用の書類が届くから〜なんて簡単なものじゃない。

 

5年かけて、10年かけて手に入れるものだ。

 

私と似たようなケースの友達と

 

「周りが思ってるより、私たちはアングラ社会との距離は遠くないし、むしろ一般社会の対応ひとつでアングラ社会に逆戻りだもんね」

 

「関わりを持ったまま一般社会への移動を試みるのが、どれだけ苦しいか分かってもらえないし、共感すらされない。批判されないだけましだし、あるのは同情だけだよ」

 

そんな話をする。

 

常に何か抱えて、何かから必死に逃げて、一回躓くとダメだと頭では分かっていながらも、なぜか自暴自棄になってしまう。

 

きっと、心のどこかで「私たちは、あの場所に行けない」思っているのかもしれない。