シングルマザー女子大生ゆるゆるゆか子にっき

シングルマザー女子大生(だった)上原のにっき。ゆるふわニートなうです。

大キライだけど大好きな沖縄

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 今日は、年に1度の旧盆だ。

 

 沖縄には宗教的な年中行事の他に、戦後に出来た慰霊の日などの社会的な行事がある。いっぱいある行事の中で、純粋に地元への愛を感じ、沖縄を反省的に考えるのは旧盆だけだ。

 

 私が生まれ育った地域に、「うーしーもー」という公園がある。私たちは毎日のように、その公園で遊んでいた。

 

 ある日、公園に大きな穴があいた。穴があく前日、私たちは避難するよう言われた。ここまで書けば、察するかもしれないが、私が育った地域は不発弾が多い(?)印象を受ける地域だった。公園の大きな穴は「不発弾処理」をした跡だ。

 

 不発弾処理がされる際、近隣住民に避難勧告がでて、自衛隊員が地域をまわる。しかし、私の祖父母、叔父、伯母、イトコは避難しなかった。私たち家族は居留守を使って避難しなかったし、ご近所さんが避難している様子もなかった。

 

 もし、あの不発弾が爆発していたら、私は大ケガをしていたのかもしれない。公園の大きな穴を見たとき、鳥肌がたったのを覚えている。

 

 鳥肌が立つほどの穴があく「不発弾処理」だったのに、なぜ私たちは避難しなかったのだろう。

 

  あれから20年近くが経った今、ボヤッとした答えが出せる。私は生活の一部に「戦争」が残っていることを受け入れている。そして、それを日常化させてしまっているのだ、と。

 

 しかし、戦争体験者や本土復帰前を生きてきた私たちの祖父母世代、親世代の中には、今も「戦争」に立ち向かっている人達もいる。一方で、私たち家族のように「戦争」を受け入れた人達は、どんな生活をしてきたのだろうか。また、「戦争」を日常化させるまでに、どれくらいの時間を要したのだろうか。次から次へと疑問が溢れ出てくる。

 

 こんな話をすると「サヨクだ!」とか言われ、狭いコミュニティの中で浮いてしまう。コミュニティの価値観に合わせられなければ排除される。私は「ムラ社会」的なものが根底に残っていそうな、沖縄的コミュニティのあり方が大キライだ。

 

 でも、お盆のときくらいは許してほしい。激しい鉄の雨が降る中を必死に生き抜き、飢えを凌いで私たちにいのちを紡いでくれた先祖がいた沖縄を無条件で「大好き」だと言いたい。

 

 私にとっての旧盆は、政治やしがらみを抜きに沖縄への愛を口にすることができる3日間だ。

 

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 「ご先祖さま、今年のお盆も楽しんでもらえたかな? あなた方が守り抜いてきた命が、ここにいっぱいあります。 また来年も遊びにきてください」