「死んでると思った」
絶望的な介護ライフが始まり、約2週間が経ちました。やっと、祖母の唸り声はなくなりましたが、今度は娘ちゃんが精神的に疲れているように見えます。
というのも、小学校は春休みでして、1日中うちの中で遊んでいるわけですから。そりゃあ、ストレスたまるよなあ……。
なーんて!!! そんな話じゃないんですよね。
ばあちゃんは、何かして欲しいことがあるわけじゃないのに「娘ちゃーん!!」って呼ぶんです。
公文の宿題をしていると……「娘ちゃーん」。将棋や囲碁アプリで遊んでいても「娘ちゃーん」。寝ているときも「娘ちゃーん」。
「なにー?」「いま将棋してる」「しょっちゅう呼ばないで!」といった感じで、私が夕飯の支度をする頃には、娘ちゃんのご機嫌は悪くなっています(苦笑)。
先日、施設見学に行きました。その前日、娘ちゃんの預け先を探していました。
ぼちぼち近い場所にある1時間300円の24時間保育と娘ちゃんが認可園に入所できる前に通っていた園の2つを候補にあげていました。
だけど、ばあちゃんと娘ちゃんは前者だと思い込み全力拒否。ばあちゃんは、私の話には耳を貸さず……ひたらすら罵ってきます。娘ちゃんには話せば分かるのですが、年寄りは無理です。
仕方がないので、娘ちゃんだけに「小さい頃に通っていた保育園(後者の園)にお願いした」と伝えました。
娘ちゃんからばあちゃんに説明してもらう作戦です。この作戦は大成功でした。
家に帰ってからは、娘ちゃんがばあちゃんに「久しぶりに先生と会った」「みんなで公園に行った」「あっちの学童行きたいな‼︎」と、話していました。
娘ちゃんは楽しそうに話しているのに、ばあちゃんは寂しそうな顔をしていました。きっと、自分が必要とされていない虚しさを感じていたんだと思います。
数日後、祖母と私でテレビを見ながらタバコを吸っているときのこと。
「なんで、しょっちゅう娘ちゃんを呼ぶの? 春休みの宿題も公文の宿題もあるんだよ。娘ちゃんの仕事は勉強で、介護ではないんだからさ。」
「ずっと寝たきりでテレビと天井だけ見てると、自分は死んだのかな?って思うんだよ」
もう、何も言えません。
だって、ばあちゃん……。夜中にちょいちょい目を覚ましては、娘ちゃんを探ているんです。
ああ、あれは生きていると実感するための確認作業なのか、と思いました。
ひとは老いていきます。いつか死んでしまいます。どんなに歳をとっても「死」を迎えるのは怖いのかもしれません。
私は、娘ちゃんのケアとばあちゃんの軽い介護があるから予定より早くmessyの連載が終わりました。1時間おきに呼ばれるから何かを考える時間なんてのは、ほとんどありません。
私の処理が遅いため、他人に迷惑をかけていることもあります。
育児と介護で役立たずになってしまっても、子供の命とばあちゃんの命を預かっているようなものです。
どんな仕事よりも失敗は許されません。
ひとの命は、代替できないし、とても儚いものだと思います。
私のばあちゃんは、ばあちゃんが死んだらいなくなります。二度と会えなくなるんです。嫌味を言われることも、罵しられることもなくなります。
パパとじぃちゃんは、思わぬタイミングで亡くなりました。
パパが亡くなる1週間前でしょうか。最後に2千円のお小遣いを「ママに内緒にしなさい。好きなもの買っていいよ」と言われ、貰いました。
私は素っ気ない返事をしました。それがパパとの最後の会話になりました。
色黒のパパの遺体は、青みががった黒で、美しい死とはかけ離れたものでした。
じぃちゃんは、病院の集中治療室で日に日に青みが増していきました。もともと色白でした。漂白されていくように見える肌の色は、死が近づいてくるのを物語っていました。
じぃちゃんの遺品を整理していると、作りかけの、私の三線が出てきました。じぃちゃんの友人(職人)が3万円で買い取っていきました。木の部分だけだったから私とじぃちゃんの思い出は、3万円の価値しかありませんでした。完成していたら一生の思い出になったはずなのに。
ひとの終わりは、いつもいつも突然やってきます。ばあちゃんが「死んでると思った」と、恐怖を覚えているのは、色んな終わり方を知っているからなのでしょう。
ひとの命を預かる家族は、社会的に死にます。
自分の身内の生死が大切なのか、自分の社会的な生死が大切なのか、この2つを天秤にかけないといけない。
ばあちゃんの「死んでるかと思った」という言葉と私の「社会的に死んじゃう」という危機感。
これから先、母や叔父の介護もあるはずですから、家族という他者の命と自分の社会的な生存、どちらを優先させるのか考えないといけません。
介護休暇のひと達が窓際に追い込まれる話を、ちょいちょい耳にします。だけどそれは、少し違うな〜と感じました。
せめて、ひとの命の事くらい「大切なもの」だと断言できるようになりたいですな。